茶豆和菓子のおは・きな・ずん!

車椅子の漫画家、茶豆和菓子(ちゃまめわかこ)がいろいろ書くよ!見ていってね!

プロレスラー木村花さんの悲劇に学ぶ。新型コロナ後の真のニューノーマルとは。

茶豆和菓子の おは・きな・ずん!
はっじまっるよ~!

 

みんな~!まぼおっは~!

まぼろし国のあいさつです)
 
 
COVID-19、
通称「新型コロナウイルス」の猛威が
ナリを潜め(たように見え)るなか、
とうとう
非常事態宣言が解除されましたね。
 
 
 
・・・どうですか、皆さん。
 
 
新型コロナの前と後では、
”仕事”の概念が大きく変わった!という方も
多いのではないでしょうか。
 
これまでの”仕事”の概念と言えば、
やはり
早起きして→満員電車に乗って→出社して
現場で労働をしてはじめて”仕事”なのだ!
という感覚も強かったと思うのですが、
 (実際、私も車イスで朝の通勤ラッシュに
押しつぶされそうになっていましたが。)
 
いざリモートワークやテレワークを
やってみると、ひとによっては
めっちゃ快適に働くことができる
ということが証明されちゃった部分も
あると思います。
私もそうです。
 
そんな、新たな時代の
新しい働き方に慣れてしまった今、
まさに時代が移り変わりゆく最先端を、
その境目を、
私たちはうごめいているのでしょう。
 
 
 
さて、
新型コロナウイルスありきの世界”での
新しい当たり前のことを
ニューノーマルというそうですが、
そんななかで
とても悲しいニュースを目にしました。
 
 
プロレスラーの木村花さんが
自死なさったというニュースです。
 
 
私はプロレスにはあまり詳しくはありませんが、
アジャコングさんとかまちゃまちゃさんとか
北斗晶さんとか……有名な方を
テレビでお見かけするたびに
あぁ、かっこいいなぁ、と憧れたり、
 戦ってる時と
スタジオでコメントしてる時との
ギャップも素敵だなぁとか、
けっこう萌えさせていただいております。
 
 
そんな感じで、私自身が
けっこう女子プロレスラーさん好きなので、
このたびの木村花さんの訃報には
とても驚きました。
 
 
すでにTwitterも騒然としていますが、
少し調べるだけでも
木村さんがどのように苦しんでいたのかを
知ることができます。
 
 
それによると、どうやら木村さんは
有名恋愛リアリティ番組に出演していて、
とある放送での態度がSNS上での炎上を招き、
ここに書くのも見るのもはばかられるような
ひどい暴言を書き込まれたりして、
心が身動き取れなく
なってしまったようなのです。 
 

www.jprime.jp

 
 
もうね・・・悲しすぎて酷すぎて・・・。
 
詳しいことは、そういう情報が得意な
サイトなどを見たほうが良いと思うので
ここではあまり書きませんが、
じつは私もむかぁ~し、むかし、
とあるテレビ番組に
出させていただいたことがあるので
当時の体験を思い出して
ちょっとだけ言わせていただきますね。
 
 
まぁ、何が言いたいかというと、
 
 
 
やっぱり、ね?
テレビはテレビなんです。
 
 
公共の電波を使った
エンターテインメントですから、
まったく台本がない
ということはあり得ません。
 
そんな野放しなことをしては、
出演者さんたちの命を守ることができませんし、
情報を発信するものであることの責任
芸術、映像作品としての美しさ
保てなくなってしまうことでしょう。
 
もちろん、自然体にするにしても、
演出をする方の指導が多少なりとも入ります。
 
今回の木村花さんのように
「台本がない(とされる)パート」では
その場にいるたくさんの人の思惑が
絡み合いながら構成されることで
「(演出されている空間での)
いかにもリアルに見える状況」
を楽しんでほしいのが作り手の気持ちであり、
私たち視聴者が
観たがっているものですよね。
 
 
・・・って、
こんなことを言わなくても
私なんかよりメディアに詳しい
視聴者の方々は
そうして作られた娯楽の楽しみ方は
分かっている
 
 
・・・はず
 
 
・・・でした。
 
 
 
でも、その炎上した回では
演出を一切していないリアル(のような演出)
マトリョーシカみたいですね)
が独り歩きをし、木村花さんの本当のお人柄を
伝えることができず、
SNS上での匿名だらけの誹謗中傷は
とどまるところを知らずに、このような結果に
なってしまいました。
 
 
もぅねっ、
使い古された表現かもしれませんが、
匿名なら
何を言ってもいいのでせうか!?
(´;ω;`)
 
 
最近は、かなりかっちりした報道番組でも
Twitterと連動した企画やコメント募集が
よく見られるようになりました。
 
自分のコメントが流れたり、
キャスターの人に読まれると嬉しいですよね。
 今やSNSと連動しないメディアは
考えられないくらいです。
 
 
でも、そうして
”オフィシャルな情報発信の場”に出るものは
まだまだ出自が明らかで、
たま~にアンチ(批判的な意見)が
あったとしても、きれいなもんですヨ。
うんうん。
 
 
問題は
そうした場には見えていない
感情の流れたちです。
 
それはいわば
地下に潜った川「暗渠(あんきょ)」のようで、
どす黒い奔流のように、
リアルな私たちの生活に
まとわりつくバーチャルな濁流なのです。
 
以前も書かせていただきましたが、
人間は誰でも
 
自分で考えている
 
自分は主体的な人間だ
 
自分の意志を持っている
 
と思いきや、
意外と周囲に流されていたり、
様々なメディアによって
無意識の刷り込みがされていたりする
ものなのです。
 
 
 
え、”茶豆は分かってない”・・・?
 
 
”自分は正しい情報を自分で調べてる”・・・?
 
 
 
う~ん、そうですよねぇ。
 
最近ではメディアリテラシーの授業も
多くなっていますし、
本当にちゃんとできてる人も
いらっしゃることと思います。
 
 
では、ここからは
念のために言いますね!!
 
 
あなたが得ている
「正しい」情報は
誰が作り、発信したのか、
どうして正しいのか、
ちゃんと分かっていますか?
 
 
例えば、テレビ局が報道する情報は、
 
・現場に取材に行く記者のひと
・情報を整理するひと
・映像を処理・編集するひと
・字幕を付けるひと
・スタジオの大道具・小道具のひと
・カメラマンのひと
・コメンテーターのひと
・その衣装やメイクのひと
 
細かく分ければキリがありませんが、
さらにそれぞれチェックをし、
ゴーサインを出す人がいて初めて
放送されるのです。
 
つまり私たちが見て受け取っている情報は
その時点ですでに集合知であり、
 
たくさんの人の目線が含まれた
多面的なものであるはずなのです。
 
 
・・・本来ならば。
 
 
でも、情報や報道やエンタメには
分かりやすさもとても重要です。
 
分かりやすい情報を伝えようとしたときに、
集合知の多面性のトゲトゲ
少しずつ削られ、
 
私たちが見て
「分かりやすい!」と思う瞬間には
まるで錠剤を一粒飲むかのように
つるっと飲み込んでしまいます。
 
そのひと粒が、
まさか情報の集合体だなんて
思わないわけです。
 
 
そう考えると、
ちょっと怖くないですか?
 
 
私が上智大学で勉強してきた心理学でも、
論文を描くときはできるだけ多くの文献を調べ、
引用に載せなければいけませんでしたし、
統計の授業でも、できるだけ多くのサンプルや
意見を集めようと苦労しました。
 
著名な研究者
たったひとりの意見があるだけでは
ダメなのです。
 
 
私自身も、
常に多角的なものの見方をするように
心掛けて生きてきました。
 
それは、私も小さいころから
医療の分類にキッチリとは当てはまらない
複合的でグレーゾーンな身体を持っていて、
そのことでいじめられて
長く苦しんだからでした。
 
本当の自分の状態を、
誰にもわかってもらえずに
攻撃され続けたからでした。
 
ですので、
今回の木村花さんの事件は
本当に
やりきれない気持ちでいっぱいです。
 
 
 
・・・私たちは
新型コロナウイルスで自粛をしたり、
3密を避けたりして、
他者と距離を取ることが
当たり前になってしまいました。
 
なかった時代には戻れないのです。
 
でも、だからといって、
自分を守るために
相手を思いやる気持ちを忘れ、
心の距離まで離れてしまっては・・・
果たしてそれでいいのでせうか。
 
 
ツールとして利用していたはずの
メディアに踊らされ、
大勢が正義だと言うから正義で、
過激な意見で
無意識に誰かを傷つけて・・・
 
そんな無機質な
冷たい時代なのでしょうか。
 
 
そんなことないですよね。
 
そんなことないって信じています。
 
 
そのために私も茶豆和菓子として
活動を始めてからずっと、
「双方向バリアフリー」という新たな概念を
発信してきました。
 
そしてこの気持ちは
今こうして見てくださっている
あなたの優しい心に伝わり、
つぎの誰かに伝わっていくのです。
そう信じています。
 
 
私から、ニューノーマルな令和の時代を
共に生きる皆さんに、
もういちどお願いします。
 
 
人間が。
情報が。
いま目の前にあるもの・ヒトが。
”ゆるぎないたったひとつのすべて”
だなんて
思わないでください。
 
バーチャルな濁流に
飲まれないでください。
 
もちろん、そうした
普遍的なものはきっと存在します。
 
愛とか、科学的な事実とか、
哲学とかです。
 
心理学も、
普遍的なものがあるという大前提のもとに、
その普遍的なものはなんだろう?
と探す学問です。
 
 
でも
私たち人間はバラバラの個体だから、
愛や事実や哲学さえも、
受け取り方が違うし、
その後に抱く感想もちがいます。
 
それでも、だからこそ、
目の前のものは、けっして
すべてではないのです。
 
 
あらゆる物事には
自分の知らない、
思いもよらない側面や
無数の可能性があるのだと。
 
それは良いことかもしれないし、
悪いことかもしれないけれど
とにかく多面的で、
分けきれないグラデーションなのだと。
 
 
ぜひそう思ってみてください。
 
今まで許せなかったことも
許せるかもしれません。
 
許せなくても、
少し気持ちが楽になるかもしれません。
 
木村花さんのご冥福をお祈りするとともに
新しい時代が少しでも心優しいものになるよう、
私も発信を続けたいと思います。
 
 
 
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