茶豆和菓子のおは・きな・ずん!

車椅子の漫画家、茶豆和菓子(ちゃまめわかこ)がいろいろ書くよ!見ていってね!

花火の中心で「たまや」「かぎや」と叫ぶ!?

茶豆和菓子の おは・きな・ずん!
はっじまっるよ~!
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こんにちは!
 
先日は西日本を襲った豪雨のあと、
さらに異例の「迷走台風12号」の影響で
大変でしたね。
 
幸いなことに、茶豆のいる八王子では
そこまでの大きな被害はなかったのですが、
さすがに台風の影響で、
花火大会は残念ながら中止に
なってしまいました。
立川などの近くの花火大会も、全部中止です。
 
まぁ、じつは茶豆は車イスなので、
実際にそういう人ごみに遊びに行くのは
なかなか難しいのですが、
それでも
墨田川の花火大会も中止と聞いては、
茶豆に限らず、年にいちどの花火大会を
楽しみにしている人はみんな、
ガッカリしましたよね。
 
でも、幸いなことに
墨田川には予備日があって、
雨天順延ながらも
翌日に開催することができました!

(*´ω`*)よかったぁ~
茶豆もテレビで見ることができて、
とても嬉しかったです。
 
部屋を暗くして、画面の中の夜空に
次々と咲く大輪の花を見ながら、

た~まや~!
か~ぎや~!
 
なんて、
自然と掛け声が出ちゃいます。
 
 
・・・って、そういえば、

この「たまや」「かぎや」って、
いったいどういう意味なのでしょう?

そもそも日本では、いつから花火を
楽しむようになったのでしょうか。
 
ということで今回は

花火の歴史をご紹介したいと思います!
 


日本の夏を彩る風物詩、花火ですが、
火薬を破裂させる仕組みからも
推察できるとおり、
もともとは戦のための武器でした。
 
その歴史は古く、
紀元前3世紀の中国までさかのぼります。
 
当時の中国はちょうど
呉楚七国(ごそしちこく)と呼ばれた
戦乱の世が終わり、
秦(しん)の始皇帝
中国を統一した時期でした。

当初は単純に爆発させるだけの
ものだった火薬でしたが、
次第に
煙が出る「狼煙(のろし)」へと改良され、
遠く離れた場所や、
夜間の情報伝達にも
使われるようになりました。
 
煙が出る火器・・・

なんだかすでに花火っぽいですね
 
そして、
火薬を用いた武器は、直接日本にではなく、
中国からモンゴル、シルクロードを経て、
ヨーロッパ大陸の西の果てである
ポルトガルから、ぐるっと海を渡り、
火縄銃として日本に伝わります。
 
だいぶ遠回りですね・・・(笑)
 
では、火器は
いつから花火になったのでしょう?
 

じつは、初期の「花火」とは
もちろん今のようにカラフルなものではなく、
ざっくり言うと
「竹筒に火薬を詰めて噴射するもの」でした。

そのため、「最初の花火」も、
「最初に花火を見た」とされる人も
何人かいるようです。
 
有名な武将では、
1579年に伊達政宗が。
1613年に徳川家康が。
それぞれ最初の花火を見たといわれていて、
愛知県の三河地方で有名な
手筒花火は、その名残なんですって!

そうして江戸時代に入ってから
日本の花火文化は急速に発展し、
1733年に
とある有名な花火大会が開かれます。

それが、
現在の墨田川花火大会の前身である、
両国の「川開き花火大会」でした。
 
8代将軍吉宗の時代だった当時は
コレラなどの疫病や飢饉の流行で、
たくさんの人が亡くなりました。

そのため、
慰霊と悪霊退散を祈願して
花火を打ち上げたのがはじまりとなり、
夏の定番になっていったそうです。
 
そっかぁ・・・
最初は亡くなった方々への
慰霊だったんですね。
 
やっぱり、
亡くなった方々に心が届くように
空に大きな花を咲かせたかったのかなぁ。
 
そこからどんどん発展して、
慰霊の意味だけでなく
夏のイベントとしての風流な楽しさに
なっていったんですね!
 
そして、花火を見るときには
日本人なら
ついつい言っちゃう言葉がありますよね。
 
そう、

た~まや~!

か~ぎや~!
です。

じつは1733年の両国の花火大会は、
花火師・鍵屋6代目弥兵衛(やへえ)さん
のおかげで とても人気になり、
江戸ではあちこちで花火が楽しまれるように
なりました。
 
ですが江戸は乾燥していて
火事が多かったため、
川辺である両国の花火大会以外は
禁止されてしまいます。

でも、禁止されたら
ますますやりたくなるのが
人間というものですよね(笑)。

それに、年に1度の花火大会ですもの、
どうせなら盛大に楽しみたい!
ということで、季節のイベントとして
さらにレア度が上がった両国の花火大会を
盛り上げるべく、花火職人の鍵屋と、
鍵屋から のれん分けをした
玉屋は頑張りました。
 
川の上流を玉屋が、下流を鍵屋が担当して、
毎年とっておきの花火を打ち上げます。
 
それを応援する言葉が
「鍵屋」「玉屋」でした。
 
残念ながら、ほどなくして玉屋は
失火で火事を起こしてしまい、
江戸を追放されてしまうのですが、
(それほどまでに火事や失火は重罪だったのですね)
その功績や、
花火のクオリティの高さを惜しんだ
江戸の人々は、玉屋がいなくなった後も、
掛け声にその名を残したのだそうです。
 
疫病の慰霊といい、
追放された玉屋といい、

今ここにいない人のことを思い
美しい花火を共有して楽しむ。
 
そんなちょっぴり切ない、秘めた優しさが
花火の醍醐味なのかもしれません。
 
いやぁ、粋ですねぇ、てやんでいっ・・・!
 
66話03決定.png
まぼろし国の花火も満開です!
掛け声は、
そうだなぁ・・・
「ま~めや~(豆屋)!」
 

 
今日のおは・きな・ずん、
いかがでしたか?
 
カラフルに夜空を彩る花火ですが、
今のように いろいろな色が
出せるようになったのは
わりと最近のことで、
江戸時代には まだ
オレンジ色しか出せなかったそうです。

その色は「和火(わび)」と呼ばれ、
今でも楽しまれているのですが、
明治時代になって以降は、
外国から入ってきた様々な金属を
使えるようになったため、
3色、5色、と、
徐々にたくさんの色を
作り出せるようになりました。
 
年々ステキになっていく花火ですが、
本当に一瞬で消えてしまう
その時にしか出会えない色に
会えるということ、
そして、
見たことのない色やカタチが
まだまだ たくさんあるかもしれない
というワクワク感もまた、
花火の大きな魅力なのかもしれません。
 
 
それでは今回はこのへんで!
 
またね~(^^)/
 
 
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