茶豆和菓子のおは・きな・ずん!

車椅子の漫画家、茶豆和菓子(ちゃまめわかこ)がいろいろ書くよ!見ていってね!

誰かの大切な人がいない世界

 
皆さんこんにちは。
茶豆和菓子(ちゃまめわかこ)です。
 
20ウン年前に876gという
超低体重児として生まれ、
様々な持病のため車椅子生活をしつつ、
現在はマンガやデザインのお仕事を
させていただいております。
 

 

さて、まずはだいぶ長いこと
ブログが空いてしまいましたことを
お詫び申し上げます。
 
また、代表作であるweb4コマ漫画『まぼおは』も
連載をなかなか進められずにおります…。
 
楽しみにして下っている皆様には、
この場をお借りして改めてお詫び申し上げます。
ごめんなさいm(_ _)m
 
なぜこんなに何も手につかない状況なのか
ということの真実を含めて、
今日までいろいろと考えたことを
お伝えできたらと思いますので、
最後まで読んでいただけたら幸いです。
 
よろしくお願いいたします。
 
 

 
 
Twitterなど、私のSNS
見てくださっている方のなかには
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、
先日、私の”戦友”が亡くなりましたことを
ご報告させていただきました。
 
戦友、と書いたり、大切なひと、と書いたり、
手を変え品を変えボカしてきましたが、
もういろいろと難しいので正直に言います。
 
 
去る5月19日、父が死去いたしました。
 
54歳でした。
 
生前のご愛顧を賜りましたことを
本人に代わりまして謹んで御礼申し上げます。
 
父は2年前の夏に
突然の心臓発作を起こして自宅で倒れました。
深夜に救急車を呼び、AEDをしてもらい、
何日もかかってようやく、
病院で奇跡的に意識を取り戻しました。
 
心臓の冠動脈が詰まってしまっていて、
それを広げるためのバネを入れる
ステント手術を2度も行い・・・
 
これでひと安心かと思ったら大間違い。
 
退院後も何度も心臓発作を起こして
そのたびに入退院を繰り返しては
様々な検査をしましたが、
原因がなかなか分かりません。
 
それもそのはずです。
父はとても健康体で、
風邪ひとつひいたことがなく、
母の作るヘルシーな食事が何よりも
好きな細マッチョだったので、
一般的な心筋梗塞の原因として言われるような、
不摂生やメタボやコレステロールがうんぬん
といった通例が当てはまらなかったのです。
 
そこで海外の病院とも連携して
さらに専門的な検査が行われた結果、
なんと、54歳にして
生まれつき「igG4関連疾患」という
免疫系の難病を持っていた
ということが判明しました。
10年前に日本で難病として発見・指定された、
とても新しい難病です。
 
(奇しくも「igG」というのは
新型コロナウイルスによる免疫の過剰反応などの
ニュースで耳にする機会が増えた言葉ですが、
父は念のため死後に検査をしまして、
新型コロナではないことが証明されました。)
 
igG4関連疾患のため、父の免疫機能は暴走し、
暴走した免疫が炎症反応を起こして
体じゅうの血管を硬化させ、
締め上げて閉ざします。
 
その反応が最も顕著に出たのが心臓でした。
 
また、ひとくちに
igG4関連疾患といってもいろいろあって、
心臓疾患が併発してしまった際の確実な治療法は
まだ確立されていないとのことでした。
 
 
そんな、
いつ心臓が止まってしまうかも分からない
絶望的な恐怖を父は乗り越えて、
今年の5月に父は何度目かの退院を果たし、
愛する我が家に帰還しました。
 
たこパをして、
母の手料理を好きなだけ食べて、
録りためていたアニメやドラマを見て、
私と母がどんなに心配して寂しかったか、
そして父本人が頑張ったかを
認め合って、讃え合い、
夢のような2日間が過ぎ――――
 
 
3日目の朝に、また自宅で倒れました。
 
病院側が「念のため検査にきてね」と用心をして
予約をしていた当日の朝のことでした。
 
母が即座に
人工呼吸と心臓マッサージを開始し、
私もすぐに救急車を呼びましたが、
その頃すでに新型コロナウイルスの影響で
医療体制がひっ迫しており、
到着までには時間がかかりました。
 
そうしてやっと救急搬送されたときには、
通常なら人工心肺装置を入れることが
できるはずの太い血管さえ
igG4のせいで硬くなって閉ざされていました。
そうして長い時間、
脳に酸素が行かなくなっていた父は、
なんとか蘇生処置をしていただいたときには
植物状態になってしまいました。
 
それは病院のせいではありません。
igG4関連疾患とは、
そういうことがある日突然起こる、
恐ろしい難病なのです。
 
 
その後も、新型コロナ対策で
家族の面会が禁止された病棟で
なおも孤独と闘いながら、
父は
たくさんの看護師さんや医師の皆様に
それはそれは丁寧に
ケアをしていただきました。
 
 
そして、天国に旅立ちました。
 
何度治療しても
救急車で舞い戻ってくる父を、
そのたびに丁寧に診てくださった
病院の先生、看護師さん方に、
この場を借りて改めて御礼申し上げます。
 
本当に本当にありがとうございました。
 
 
 
 
まぁ、そうは言っても
生まれてから28年間、
必ず目の前にいた人がいない
この喪失感、違和感は、
なかなか言葉にできません。
 
それがパートナーとして
もっと長い時間や時代を共にしてきた
母にとっては、なおさらです。
察するに余りある喪失感です。
 
その父の死に際して「戦友」と書いたのは、
私と母にとっての父が、
それぞれ父、夫、という関係を越えた
大きな愛の存在であったからです。
 
父であり、夫というパートナーであり、
兄であり、友人であり、人生の先生であり、
ヲタ友であり、憧れるべき職人であり・・・
 
そういう、
生きるという戦争を、
人生という戦場を、
ともに駆け抜けてきた
「戦友」に他ならないのです。
 
 
父は心優しい人でした。
 
昨今の恐ろしいニュースと違って、
876gで生まれた私を、
障害者として生きる私を、
棄てもせず、殴りもせず、
 
「生きているだけで
嬉しいに決まってんだろぅ!
好きなだけ勉強して、
好きな仕事を好きなだけしなさい」
 
と満足そうに笑い。。。
 
また私が生まれた当時というのは、
子供を標準的な状態で生むことが
できなかった母親というのは
恐ろしいほど肩身が狭く、
社会的にも、
なぜだかわかりませんが
見ず知らずの他人からもヒソヒソと、
ときにはあからさまに
責められるものでしたが、
そんな母のことを父は
 
「気にしなさんな、
お前さんは本当によくやってくれた!」
 
と褒め讃え。。。
 
時代的に何の公的な補助や助成もないなかで
私に関わるすべての病院費、治療費を
自前で稼ぎ出しては払い、
稼ぎ出しては払い、
稼ぎ出しては払い、
ときには遊びにもつれていき、
勉強したいと言えば受験費や学費を払い。。。
 
その人生の最後が
このようなカタチになるとは…
本人が一番驚いていることでしょう。
 
激動の時代を生き、
私と母と生きるために闘い、
リーマンショックを乗り越え、
突然判明した生まれつきの難病と闘い・・・
あらゆる意味で、父は私たちにとって、
まぎれもなく誇り高き戦士でした。
 
最後の退院からの2日間は、
神様からのご褒美だったのかもしれません。
戦士が神様からもらったご褒美・・・
 
 
父亡き後、
私も母も喪失感に苦しみました。
 
もっと何かしてあげられることが
あったんじゃないか、とか、
igG4関連疾患を見抜けなかったのか、とか。
 
(お医者さんが見抜けなかったものを
一般人の私たちが見抜けるはずが
ないんですけどね(汗))
 
そしてどんなに悲しくても
この世界は父が亡くなる前と同じように
動いていきます。
 
 
この違和感は何なのでしょう。
 
 
私たちにとってこんなにも愛すべき
かけがえのない存在がいなくなっても、
誰もそのことを知らず(当たり前です(笑))
世界は動いて経済は回り、
新型コロナウイルスの猛威は広がり・・・
 
 
まるで、大きな川で
私だけは川底に深く刺さる竹の棒っ杭で、
その周りを水はただザアザア流れていって。
 
まさに流れに取り残されたような、
そんな感じです。
 
食器が2ペアしか出ない。
 
洗濯ものが少ない。
 
いつまで待っても
仕事から帰ってくるバイクの音はしません。
 
買い物に行けば
「コレ美味しそうだな!」と
笑う声は聞こえず、
 
帰りはスーパーに
もうひとり置き忘れてきてる
気がする(けどそんなことはない)
 
違和感まみれです。
 
 
 
でも・・・
 
 
さっきレストランに入っていった人、
喪服だったな・・・
 
 
すぐそこの電柱に
「○○家斎場」って看板かかってた・・・
 
 
いますれ違った道行く人も、
昨日旦那さんを亡くしたかもしれない。
 
下校途中の子供も家に帰ったら
家族が倒れていて、
2年前の私と同じ経験を
これからするかもしれない。
 
 
 
そんなことをぼーっと考えて、
 
 
 
 
そして、
 
 
 
「あ、」って。
 
 
 
分かっちゃったんです・・・
 
 
 
「この世界のカタチ」が。
 
 
 
 この世界は、必ず、
 
 
「誰かの大切な人がいない世界」なんです。
 
 
 
私は、創作者として、漫画家として
「目の前にあるもの」を描きます。
 
世の中にあふれるほどある
漫画やアニメ作品たちは
(死後の世界などを描いたものもありますが)
基本的には
どんなフィクションであっても
「現実に起こりうる関係性」が
落としこまれていて、
それは「有」の世界です。
 
「ある」世界です。
 
私たちは毎日の「目に見える関係性」を
追うことに必死で、
それが「ない」世界のことは気にも留めません。
 
あたりまえですよね、「ない」んですから。
 
認識のしようがありません。
 
人間は「ない」ことには
 
ワクワクしませんよね。
 
 
仮に喪失したとしても、
そこから復活したり、破滅したり、
とにかく何かが起こって、
何かが「ある」から次のページを読む。
それが物語です。
 
創作である以上、
完全な「無」を描くことはできないのです。
 
でも私は、
父の死という「完全な無」を経験して、
知ってしまいました。
 
 
そこから時間は残酷にも過ぎていき、
たしかに「喪失の後の時間」や
父のいない新しい日常が「ある」のも事実です。
 
でも、
 
「ない」ものは永遠に「ない」のだと
 
失われたものは永遠に失われたのだと
 
そして
 
目の前の見ず知らずの誰かも
 
私が知り得ない誰かの死や
 
とてつもない虚無感を
 
同じように?
 
もしかしたらもっと強烈に?
 
抱えているのかもしれない・・・
 
 
 
メディアや漫画や様々な娯楽は
 
誰かが居ることを大前提に発信されます。
 
恋愛、結婚、家族、冒険・・・
 
「あなたの大切な人とのひと時を」と。
 
 
でもこの世界は、必ず。
 
 
絶対に。
 
 
「誰かの大切な人がいない世界」なんです。
 
 
 
そのことに気づいた瞬間、
川の流れに突き刺さる棒っ杭だった私の中を
嵐が通り過ぎていきました。
 
ドゥアアアアアアアアア・・・
 
時空の嵐です。
 
すべてがクリアに見えます。
 
地球は確かに球体だけれど、
生きている私たちは
その球の半分にしか住んでいなくて、
 
まるで目に見えない
「”ない”の世界」がもう半分、
透明な水晶のようにそこに在って、
物質にあふれた、生きた人間の
「”ある”の世界」世界を支えている。
 
 
歴史上の偉人たちも亡くなりました。
 
戦争に駆り出された兵士たちも戦死しました。
 
ペストが流行り、
 
魔女は火炙りにされました。
 
その家族は、
どんな時代背景があったとしても
 
やっぱり同じような喪失感を味わい、
そしてその家族たちも最終的には亡くなり、
現代の私たちの多くが、
おびただしい数の亡骸の上に成り立った
衛生的でキレイで便利な現代で、
「死」という「ない」を
気にも留めずに生きている。
 
 
でも、ここに来て「死」は再び
とても身近なものに返りつつありますよね。
 
新型コロナウイルスでは日々たくさんの
方々がお亡くなりになり、
 
志村けんさんや岡江久美子さんをはじめとして
様々な文化や芸能を創り支えてこられた
国内外の著名な方々までもお亡くなりになり、
 
熊本県をはじめとする令和2年7月豪雨災害でも
多くの方々が被害に遭われています。
 
三浦春馬さんは自死を選ばれ、
日々目を疑うような事件や
痛ましい事故が起こり・・・。
 
とにかく2020年というのは
いつにも増して死の匂いの消えない年だなぁと、
自分のことに重ねてではありますが、
思わずにはいられません。
 
 
私は、生まれてから長く続いた
自分の闘病に関して、見ず知らずの人からも
 
「誰だってつらいんだから」
 
「あなたなんてまだマシじゃないの」
 
「私だって○○でつらいんだから」
 
という独特の言葉を投げかけられてきましたが、
私だったら誰かに同じことは言わないなあと
思います。
 それは、
 
「じゃあ私は今、100%つらいのに、
誰かにとっては10%くらいなんだから
ってことを
わざわざ想像しなきゃいけないの?
それも今すぐ?
私は当事者なのに、今だけでも
100%を苦しんじゃいけないの・・・?」
 
って思って生きてきたからです。
 
もちろん、
当時は今とはまた違うカタチで
なんでもはっきり言う時代でしたから、
それは意地悪でも何でもなく、
その人なりの励ましや優しさであったことが
今ではよく分かっています。
 
ありとあらゆる可能性を考えることは
心を平穏に保つために
とても効果的な方法ですし、
私も日頃からよく実践しています。
 
それでも、当時の私は、
自分に健康が「ない」ということを。
 
子供らしく過ごせる日々が
少「ない」ということを。
 
存分にやだやだ!って
悲しんでいたかったんだと思います。
 
なんでもそうですよね。
 
勉強しようと思ってたのに、お母さんに
「勉強しなさい!」って言われると
「今やろうと思ってたのにぃ~!」って
やる気がなくなっちゃうアレ(笑)。
 
今、自分のことを100%存分に悲しめたら、
何とか頑張って他の人の悲しみにも
目を向けることができそうなのに、
先に誰かに
「つらいのはアンタだけじゃないわよ!」
って言われると
「いやまぁ、そうなんだけどさぁ~」
ってなっちゃう(笑)。
 
 
 
でも、
 
 
「この世界は必ず、
誰かの大切な人がいない世界」
 
 
そう思うと、何ともスムーズに
誰かの悲しみや苦しみに
想いを馳せることができる気がします。
優しくなれる気がします。
 
それはきっと、
この言葉に含まれる悲しみが
誰かひとりの個人的な主観ではなく、
世界単位の普遍的なものだから
なのかもしれません。
 
もしかしたら、悲しむ私に、
透明になった父が教えてくれたのかな。
 
 
 
父は心から母を愛し、
私がこんなふうに生まれても、
母と一緒になって
その苦しみに寄り添ってくれました。
 
ふたりして私の存在を全肯定し、
私以上に私を信じてくれました。
 
小さな子供が自分一人で抱えるには
まだ未熟ゆえに難しかった
複雑な精神構造の部分を
両親が一手に引き受けてくれたのです。
 
そのおかげで私は
病気を治すことや
勉強をするという
「Do」の部分に専念することができ、
ここまでやってこれました。
 
そうしてやっと私も
「自分は幸せな人間なのだ」と
堂々と思えるようになり、
3人でお互いに感謝しあいながら
なんとか生きてきました。
 
その父が人生の最後に受ける苦しみが
これほど恐ろしいものだなんて、
いったい誰が予想できたでしょう。
 
それでも、
まるであの頃と逆転したかのように、
私と母は一緒になって、
 
「そうだよね。
つらくて苦しくて理不尽で、
やってられないよね。
そんな苦しみに立ち向かうなんて、
誰にでもできることじゃないよ。
パパは私たちの戦士だ・・・!」
 
と受け止め、
実際に言葉にして父に伝えられたことは
本当に不幸中の幸いというか、
良かったなあと思えることのひとつです。
 
 
心理学を学んだ者として考えても、
私自身いつまでも悲しみに暮れていては
それこそストレスで
別の病気になりかねないなあとも思うので、
悲しいときは素直に悲しみつつ、
 
 
「この世界は必ず、
誰かの大切な人がいない世界」なんだ。
 
 
そう思って、
 
「ない」世界を大切にしながら、
 
寂寞とした寂しさを受け入れ、
 
透明な世界のカタチを見つめ、
 
そこから得たものを
かわいいキャラクターや作品として、
「ある」世界にひっそり隠して
混ぜこんで伝えていけたらと思いました。
 
 
まだまだ時間はかかりますが、
皆様におかれましては、引き続き、
亀の歩みの茶豆とまぼろし国を
見守っていただけたら嬉しいです。
 
 
なお、父に関しましては、
遺言に従って手元供養をしております。
 
お線香をあげたいから自宅に来たいという
ありがたいご依頼も頂戴しているのですが、
家に来ていただいたせいで「3密」になっては
父も悔やんでも悔やみきれません。
 
ずっと面会も許されず離れ離れだった
父と私たちの3人を、
今しばらく、家族水入らずで
そっとしておいていただけたら幸いです。
 

 
今回は諸々のご報告をもって、
近況ブログとさせていだだきました。
 
長々と失礼いたしました。
 
そして3密にはくれぐれもお気をつけて、
予防、自衛してくださいませ!
 
命は1個。
人生は1回しかありませんからね!
 
ではまた!
 

 
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