茶豆和菓子のおは・きな・ずん!

車椅子の漫画家、茶豆和菓子(ちゃまめわかこ)がいろいろ書くよ!見ていってね!

パンドラと図書館~新型コロナ後の世界に寄せて~

 

 

みなさんこんにちは。

茶豆和菓子です。

 

なんと、

 

いま、

 

ワタシ史上、空前にバズっております!

 

 

え?

 

あぁ、漫画が・・・ではなく、

 

Twitterでの私の、

このツイートが、です(笑)

 

今日はもともと全然違うことを

書こうと思っていたのですが、

不思議なことに、
このツイートと私が書きたかったことは

繋がっているなぁと思ったので、

長くなりますが、

しばしお付き合いくださいませ。

 

 

 

 ツイートで初バズり?

 

さて、

反響をいただいた元々のツイートは

元司書の方と、とある方との会話で、

「無職だった知り合いが

図書館に通い詰めて専門書を読み漁り、

その知識のおかげで職を得ることができた。」

というお話でした。

 

それに母の体験を連想し

思わず投稿させていただいたのですが、

他所様へのリプライですし、

正直に言うと、まさかこんなに

反響があるとは思っていませんでした。

 

「図書館の本を文字通り片っぱしから

全部読んだお母さんなんて、

ウソに決まってるじゃん!」

 

くらいのことは

言われてしまうかもしれない、

と覚悟していたのですが…

 

もちろん、

ツイートに書いたことも、日頃から

このブログでお伝えしていることにも

ウソ偽りはありません。

 

でもまさか、ここまでたくさんの方に

共感してもらえるなんて・・・

時代は変わったんですねぇ(しみじみ)。

 

 

母と図書館

 

さて、母のことですが、

(詳細は省かせていただきますが)

母は本当に

幼少期から実の兄に、

それはそれは理不尽で

一方的な暴力を振るわれていました。

 

また当時の常識では、

今では当たり前に

警察に保護してもらえるような案件でも、

 

「女だろう」

 

「妹でしょう」

 

「おおげさな・・・」

 

「男の子がちょっと乱暴なのは当たり前だ」

 

と、まったく取り合ってもらえず、

どこにも逃げ場はありませんでした。

 

唯一、地元の図書館を除いて。

 

母は学校や

家事手伝いの合間を見つけては

図書館に通い、

「No.000」の百科事典の棚から始めて、

実用書、建築書、美術、文学、世界史など、

およそ自分の年齢や

学習内容を超えた本だろうが構わずに、

とにかく片っぱしから読み漁ったのです。

 (みなさんは何の目的もなく

ただ読むためだけにブリタニカの

1ページ目を開いたことがありますか?

もちろん私はありません(笑))

 

母いわく、

通い始めたときはまだ小さかったので、

もちろんすべてを理解して

読んでいたわけではなかったし、

今となっては

忘れていることも多いと言います。

 

それでも、

脳の中にはその時に読んだ

内容が絶対に残っているでしょうし、

まさに無意識レベルで

「血肉になった知識」が

その後の母の人生を

助けたことは確かでしょう。

 

何よりも、本に集中する時間や、

誰にも邪魔されずに知識を得る楽しさが、

大人たちに守ってもらえなかった母の

心や脳を守り、

癒してくれたのだと思います。

 

そう、

 

「知識を得る」。

 

母がしてきたことは、

 

そして大人になった母が

私にしてくれたことは、

 

現代の多くの人々が思うような

純然たる「お勉強」だったかというと、

やはりちょっと違いました。

 

もちろん

読んでいて分からない漢字や

知らない言い回しがあれば、

その場で辞書で調べたでしょうけれど、

感想文を書いたわけでも、

ましてや誰かに点数を

つけてもらうために

読んだわけでもありません。

 

死にたいくらいつらい現実を

忘れていられるから。

 

知ることが楽しいから。

 

だから本の世界に心を逃したのです。

 

 

私と哲学

 

私は一人っ子で

両親に大切に育ててもらいましたから

なんとも幸いなことに

暴力を振るわれたことは一度もありません。

 

でも、私もまだ小さい頃は、

876gという超低体重で生まれ、

延々と闘病が続く日々と

自分の体を呪っては

自傷行為をしていましたから、

ある意味では私に暴力を振るっていたのは

私自身ということになります・・・。

 

もし母の教えがなかったら、

私は障害のある病弱な自分を恨み、

とっくにこの世にいなかったと思いますが、

自分で自分を傷つける…

今思えば、

やっちゃいけないことをしてしまったし、

両親を心配させてしまったとと思います…

反省…(´・ω・`)

 

さて、そんな私も中学に入ると

自傷行為やメンタルも落ち着き、

学校の図書館に入り浸りました。

本を読んでいる間は

つらいことを忘れていられたからです。

 

母が図書館に救われたという話を

聞いたのもちょうどその頃だったので、

それがなぜなのか、

私にもわかるような気がしました。

 

余談ですが、

書籍は、出版される前に

校閲(こうえつ)という工程を経て

書いてある内容が客観的、科学的に

正しいかどうか、文章に矛盾がないかどうか、

徹底的にチェックされます。

 

作者自身も執筆の段階で

事実や創作にふさわしいかどうか

調べながら書き、

さらにそれが校閲され、修正を経て、

ようやく1冊の本が出来上がるのです。

 

つまり本は本である時点で

たくさんの人の

様々な目線によって確認された、

超・客観的&普遍(ふへん)的な

知識の集合体なので、

本を1冊読むだけで、

「この本が言ってることは正しいよ、

なんでかっていうとね…」

と、何人もの人の意見を聞けるのと

同じってことです。

 

すごくないですか!?

 

 

さて、話を母に戻しましょう。

 

狭い家、狭い地域、古い常識のなかで

理不尽な暴力に耐えろと

言われ続けた母は、それでも

「そんなのおかしい!」と

自分の尊厳を信じ続けました。

そして

集合知の本の集合体である図書館で

本を読み漁り、普遍的な、

つまり時代が変わっても変わることのない

善悪や倫理、人間心理の基準、

・・・つまり「哲学」を手に入れたのです。

 

その哲学は大きく分けて3つ。

 

希望を持つこと

・他者を許すこと

・自己と他者はことごとく

 違う思考の違う生き物だという

 こと

 

「他人と自分は別の生き物」

というのは、

決して突き放して諦める言葉ではなく、

「だから理解しあうことが大切」

という意味です。

 

そこには

あきらめない気持ちも入っていますし、

相手を信じる気持ちもあります。

 

これは私が専攻している

アドラー心理学でいうところの

・課題の分離

・勇気づけ

・他者貢献

そのものです。

 

私が産まれてから、

母はそれらの哲学をフル活用で

勉強をつけてくれました。

 

父は私の闘病を支え

勉強の環境作りをしてくれるなど、

「やりたい勉強をしろ!

今は今しかないんだ!」

と笑顔で血の滲む努力で働き、

私の未来に投資してくれました。

 

そうした恵まれた環境と、

「お勉強ではない知識(哲学)」

のおかげで

普通のお勉強が苦しくなくなった私は、

学校にもほとんど通えず、

病気の再発で予備校にも行けなかったのに、

第一志望の上智大学を受験するに至り、

無事合格することができたのです。

 

こんな出来の悪い娘を

よくも諦めないでいてくれたなぁと、

両親には感謝で頭が上がりません。

 

だってもし

今の私が当時の自分に同じことを

してあげられるかって聞かれたら

そりゃあ・・・ねぇ?(笑)

 

 

 コロナとパンドラ

 

さて、話は変わりますが、

不思議なことに根っこでは繋がっています。

 

新型コロナウイルスで戦々恐々としている

令和の現代において、

感染の次にもっとも危険なものは

何でしょう。

 

 

 

いろいろあるとは思いますが、

それは「不安」です。

 

 

経済的にも先行きが見通せなかったり、

ご家族がいる場合はもちろん、

ひとり暮らしであっても

感染の恐怖と常に隣り合わせで、

いつも不安で、

気持ちが休まる暇がありませんよね。

 

そんな中で、

必要以上に相手を疑ったり、

根拠のないデマを広めたり信じたり、

無意識に横暴になってしまうことも

少なくないようです。

 

ニュースなどでも時々報道されますが、

バスや電車などで

ほんの少し咳をしただけの人に対して

ひどく怒鳴りつけたり、

ののしり合ったりしている光景を

見かけることもあります。

(マスクをしていない人がいたら

そこに問題があるとも思いますが、

あんなに大勢で怒鳴り合ったら、

例えマスクをしていても密室状態の車内に

飛沫が充満するんじゃないかしら・・・)

と、何とも言えない思いがしたのは

記憶に新しいです。

 

また、経済的な問題からなのか、

イカやブドウ、

季節の野菜などの農作物や、

子豚などを狙った家畜泥棒も

頻発しているのが現実です。

 

これもニュースを見て

・・・家畜泥棒って、何時代!?

いま令和だよ!?

と、思わずテレビに

ツッコんでしまいました(笑)。

 

罪を憎んで人を憎まずとは言いますがっ…

犯人が誰なのかもわかりませんがっ…

やむにやまれぬ事情が

あったのかもしれませんがっ…

 

窃盗は窃盗だし…

ってゆーか

他所のお宅に勝手に入るのは

不法侵入だし…

 

・・・やめようね。(´・ω・`)

 

農作物や家畜は、

生産者さんにとっては

まさにご自分の子供のような存在です。

そんな大切な存在を

盗んでしまうなんて…

 

・・・やめようね。(´・ω・`)

 

 

ハァ・・・

私、世界史を専攻してきて、

人間は少しは、こう、なんというか、

進化してるんじゃないかなって

思ってたんです。

 

だって、

法律を守ったり、

学校に行ったり、

お互いを思いやったりしながら

社会的な暮らしをして、

バリアフリーLGBTといった

複雑な問題にだって、

一生懸命に

取り組んできたんですから。

そして実際に、

より良くなってきたことも

たくさんあるのですから……

 

でもなんだか、

こうした恐ろしいニュースの数々を

見ていると、

新型コロナウイルスによって

明らかになったのは、

人間の身体的な弱さだけに

とどまらないような気がします。

 

欲望とか、

 

不安とか、

 

だれを傷つけてもいいから

自分だけは助かりたい、

 

あの人はいいなぁ、

 

なんで自分ばっかり・・・

 

とかとか。

 

ドロドロした感情もまた

噴き出してしまったのかもしれません。

 

そう、まるでギリシア神話

パンドラの箱のように。

 

 

最後に残るもの

 

 

では、最後はギリシア神の

パンドラの箱」 を

ご紹介したいと思います。

 

 

パンドラは、

ゼウスが火の神ヘファイストス

命じて作らせた女性で、

アフロディーテから「美しさ」を、

アポロンから「音楽と癒しの力」を、

そしてゼウスからは「好奇心」を

与えられていました。

 

巨人族の神・エピメテウスは、

パンドラの美しさに一目惚れし、

妻に迎えます。

 

エピメテウスの家には、

彼の弟・プロメテウスが残していったものが

数多くありました。

 

プロメテウスというのは、

ゼウスに禁じられていたにも関わらず、

神々だけが制御できるはずだった

チカラ=「火」を、太陽から盗み出し、

人間に与えた神です。

 

それは人間を愛するがゆえの

行動だったのですが、

プロメテウスはゼウスの怒りを買い、

罰として山に繋がれ

鷲に食い殺されてしまいます。

でも死の間際に、自分の代わりに人間たちを

見守ってくれるよう、

兄のエピメテウスに頼んだのでした。

 

さて、

その直後にエピメテウスのところに

送り込まれてきたのがパンドラです。

つまり弟のしでかしたことの罰が

兄にも訪れたという見方もできます。

 

パンドラは、プロメテウスが残した

黄金の箱の中身が

気になって仕方がありません。

 

その中には、病気、妬み、憎しみ、

盗み、悪だくみ、など、

思いつく限りのこの世の悪が

人間界に出て行かないように

封印されていました。

 

でもパンドラは好奇心に勝てません。

この箱の中には

きっととても美しいものが

入っているに違いない、

開けてくださらないのなら

私は死を選びます、とまで言い出したので、

夫のエピメテウスも

仕方なく開けてしまいました。

 

その瞬間、

 

「まぁ、たいへん!」

あわててふたを閉めたパンドラでしたが、

時すでに遅し。

病気、妬み、憎しみ、盗み、悪だくみ・・・

思いつく限りのこの世の悪は

人間界へと

解き放たれてしまったのです!

 

ですが、

箱の中から声が聞こえてきました。

 

「あのぅ、私もここから出してください・・・」

 

そっと覗くと、

箱の中で何かが動いています。

 

「まぁ、あなたは誰?」

 

「私は”希望”です。」

 

それは、プロメテウスが

もしもの時のためにと

箱の底に残しておいた「希望」でした。

 

パンドラは「希望」も

箱の外に出して、

人間の世界に解き放ってあげました。

 

そのため人間は、

どんなにひどい目に遭っても、

どんなに困難な時にも

希望を忘れないようになったのだ

ということです。

 

 

とっぴんぱらりのぷぅ。

 


 

今回は、

 

絶望を経て、最後に残るもの。

 

知識が与えてくれる希望について

 

書いてみました。

 

Twitterの件は、

皆さんのお気持ちに触れることで、

これからの

新型コロナ後の世界を生きる私たちに

真に必要とされているものについて、

改めて考えさせられた経験でした。

 

また、このたびの私のツイートに

多くの皆さんがいいねを

くださったということは、

私の母の哲学に共感してくださった

ということでもあります。

本当に嬉しいです。

 

暗くて、不安で

絶望ばかりに見える世界で、

皆さんが共感して

一緒に考えてくださるその気持ちは

まるでパンドラの箱の底に残された

希望を見るような思いがします。

 

そう、

母や私が本の世界に心を逃したことは、

まるでパンドラが

箱の底に残された希望を

解き放ってあげたことのようにも思えます。

 

取り止めもなく

書かせていただきましたが、

今回の記事では

正しい知識を、優しい気持ちを持って

使っていきたいなぁと

改めて考えさせられました。

 

この記事を読んでくださっている

あなたも、コロナに負けず、

どうかお元気でいてください。

今はつらくても、

みんながお互いに

正しい哲学と優しい気持ちをもって

最後にはきっと、希望が残りますように。

 

まぼろし国から、

いつもお祈りしております。

 

 

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